HEDONISTIC PIXEL ART(跡地)

ドット絵・ゲーム開発やってる背教の士です

手段は目的ではない

note.mu

 

こちら、TLに流れてきたので読ませていただきました。

 

とても共感を覚える記事でした。

私はラクな職場にいたので鬱経験とかの話は全然関係ないんですが、特に共感したのが、

「2. プログラミングを覚えてから何をすればいいかわからなかった」

の部分。

 

 

今はインターネット学習サービスで、いろんなプログラミング言語の基礎的な部分は学習しやすい(のかな?)という、恵まれた環境にはあると思います。

しかし、基礎を抑えてから実際に仕事する段階になると、言語の意味を理解するだけでなくて、それで何かを作っていかねばならないわけです。

そうなると当然ながら、自分はこの技術をもって何をしていきたいかがある程度明確でないと、将来的にどうしたいの?というビジョンが見えないんですよね。

 

 

「プログラミングは何でもできる」と聞きますが、何でもできるが故に、選択肢の幅が広すぎて、初学者が将来的な道筋が見えづらいのが怖い所なのかな、と感じました。

(選択肢が多いという事自体は良い事だと思いますが)

学習サービスでjavaを学ぼう!とかPythonを学ぼう!とかいろいろサービスがあって、言語の学習は確かにできる。

しかし、それだけできれば仕事がこなしていけるかというとまた別の話なんだな、というのはもっと早く知っておきたかった事ですね。

 

そして元記事後半に書かれてある、

「たぶん業界で活躍しているようなエンジニアはほとんどが「気がついたらプログラミングしていた」タイプの人だと思う。彼らが人の何倍も手を動かしているのは間違いないが、彼らはそれを「努力」だとは思っていないだろう。」

という部分も納得させられます。

優秀なプログラマーの方はおそらく、プログラミングに楽しさを覚えているはず。

もちろん技術習得のために時間を割いて学習を続けていらっしゃると思います。間違いなく努力なされているはずですが、当人は頑張っているという意識がそんなにないのかなと。

趣味の延長というか。そういう感覚がないと、膨大な技術を蓄えていくのは難しいだろうな、と(勝手に)思っています。

 

余談ながらこの記事の筆者様も絵を描いているとのことで、妙に親近感が湧きました(私は点打ちですが)。

私も自分のスキルを持って何を為していかねばならないか、よくよく考えていきましょう。